知覧特攻平和会館を訪れて

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ここ数年、何度も計画しては頓挫し、やっと辿り着けました。

きっと、還暦を迎え、人生の残り時間を真剣に考え始めた今だったのでしょう。

出発前1ヶ月くらいから、YouTubeで予習をしまして、その予習の段階から大泣きしていましたので、

当日はどうなるものかと思いましたが、予想通り大泣きして帰りました。

鹿児島中央駅からレンタカーで1時間ほど、1人で運転するのには全く苦のない距離です。

知らない街の運転ですが、前日地元の人から、「鹿児島県民はウインカー出したら入れてくれるし、クラクションなんて鳴らす人いないから大丈夫ですよ」と教えてもらったので、安心して出発しましたが、

おっしゃる通り、本当にスムーズに到着しました。

知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期、沖縄戦において飛行機ごと敵艦に体当たりした「陸軍特別攻撃隊(特攻隊)」の、遺影や遺品、最後の手紙、遺書などを展示している施設です。

10代後半から20代前半の若者たちが、この地から飛んで行きました。

施設の外の、この、息子を送り出すお母さんの像をみた瞬間から、すでに涙が溢れ始めました。

館内は、知覧基地から出撃した439名の若い隊員の写真やお手紙が展示されています。

そのお一人お一人の写真とお手紙、遺書をゆっくりと読ませていただいて、

私は気が付いたら4時間、泣きながら館内を歩きました。

お手紙には、ご両親、幼い兄弟、愛するひとへの感謝の気持ちと、必ずお国の役にたつ決意が書かれています。

特に、お母さんに宛てたお手紙が多く、泣かないでください、幸せになってください、国の為に死んでいく息子を誇りに思ってください、と言う内容が殆どで。

まだ若い少年たちが、驚くほど達筆で書いた手紙には、

私も息子がいる身ですから、お母さんたちの気持ちを考えると胸が苦しく痛かった・・・

この三角兵舎で、出撃までの数日間を過ごし、ここでお手紙を書いたのだそうです。

出撃前日の夜、まだ17、18歳の少年兵は、ここで「お母さん、お母さん」と泣きながら寝る人も。。

そんな泣いていた少年兵が、当日は涙を見せず颯爽と飛行機に乗り込んだのだそうです。

彼らは、大切な人の為、未来のこの国の為に死んでゆきました。

私たちは、いつか必ず命が終わります。

でも、決して、死んでもいい命なんてない。

あれからたった80年ちょっとしか経っていないのに、今はどうでしょう。

未来のこの国の為に命を捧げた彼らは、今のこの国を見て何て思うんだろう。

命をかけた甲斐があったと、思うんでしょうか・・・

今のこの世界の、自分さえ良ければ〜と言う人達を見て、彼らは何て思うんだろう。

この国は今、彼らが望んだ平和で豊かな国なのかしら。

平和と平和ボケは全く違います。

私はどうだろう。

もう何十年も、「この地球が平和で愛に溢れた美しい星になりますように」と言い続けて

私は何が出来ているんだろう。

口先ばかりで、本当は何も出来ていないのかもしれない。

自分の人生の残り時間の過ごし方が、少しだけ見えた

そんな事を感じた鹿児島一人旅でした。

まだまだお話したい事は山ほどありますが、

まだ行かれた事のないかたは、是非機会を作って行ってみてください。

特に!!お偉い先生と呼ばれる影響力のある方は特に!!